レーシングカート界の生き字引、ウェルストン石井さん「タイヤは血液。空気は骨格だ。」
- 取材日 2021年12月21日
- 店舗名 ウェルストン「かーとの百貨店」
- 住所 東京都江戸川区北篠崎 2-14-16
- TEL 03-3676-9640
みなさんこんにちは。弊社はエアゲージ専門メーカーですがその歴史は戦後の急速に広がったモータリゼーションとともにあります。自動車業界の広がりとともに弊社の歴史があると言っても良いと思っています。
今回ご紹介する石井さんも同じように日本のカート業界の礎を築いた一人であると言えます。レーシングカート業界のレジェンドであると言う人も多い。
そんな石井さんをエアゲージメーカーという視点で取材してきました。
そもそもレーシングカートの世界とは
そもそもレーシングカートという世界は通常の生活をしている限りなかなか出会うことのない世界です。少しその世界について調べてみました。
このレーシングカートというのは任天堂の人気ゲーム「マリオカート」のカートを想像するとわかりやすいかもしれません。
Wikipediaの説明によると「パイプフレームにむき出しのエンジン、タイヤ、バケットシートなどを取り付けた、小さく簡素な構造の競技用車両である。スプリントカート、カートとも」とあるように小さく質素なものだ。
その歴史は戦後間もない1956年に「アート・インゲルス(Art Ingels)がレース・カー製造業者のカーチス・クラフト(Kurtis Kraft)に従事しているときに造ったのが始まり、とされている(Wikipediaより)」
その後日本では
- 1959年 東京カートクラブ設立
- 1960年 ゴーカートクラブオブジャパン設立
- 1972年 JAFが主体として運営開始(FIA-CIK)
- 1973年 ヤマハのレーシングカート「レッドアローRC100」発売
- 1974年 SLカートクラブ設立(ヤマハ)
という流れのようだ。今回取材した石井さんの話の中にもこの歴史の中心に居たという話を伺えたので間違いないだろう。
このレーシングカートはヨーロッパやアメリカ、アジアでも人気でF1などのトッププロレーサーの登竜門になっていると言っても過言ではないようだ。
ウェルストン石井さん
今回取材でお伺いしたのは先にも登場した Wellstoneの石井 利久さんです。レーシングカートの世界に飛び込み、多くのレーサーを育てた日本のレーシングカート業界の一人だ。
どんな話をしていただけるのかと戦々恐々とお話を伺いに行ったのだが、ざっくばらんに笑いが耐えない取材になりました。
石井さんはもともとは実家は船橋で、ガソリンスタンドを経営していたという。自動車が身近にあり多くの整備道具に囲まれていた幼少期だっただろう。20代の石井さんはもともとは実家がガソリンスタンドということもあり、レースに目覚めカートを始めようと「中古のカートを購入」したのがカート人生のはじまりという。
1970年代のレーシングカート業界
1969年ごろ「清水サーキット」での写真などが公式サイトにあった。サイトには「走れるところを見つけては走ったもんだ。宅地予定地は、直角コーナーしかなく、おまけに端はどぶ。その先はコンクリートウォール。そんなところを毎夜攻めつづけていた。(公式サイトより)」なかなかのスピード狂だったように感じる(笑)
レーシングカートの歴史にもあったように1972年 JAFが主体として運営開始となった頃は、色々とカート業界にも動きがあったようです。
石井さんもレーシングカートでかなりお金がかかるということで様々なレーシングカート部品調達の方法を考えていたようだ。
カートの本場であるアメリカ(ハワイ)からレーシングカートの部品を調達したり、まだ日本のメーカーがレーシングには参入していない頃にアメリカのタイヤメーカーと取引していたという。
それが1973年 ヤマハのレーシングカート「レッドアローRC100」の頃だろうと思うが、ヤマハがレーシングカート業界に参入してきてGood Yearがすぐに手を引いたというようなお話もしていた。アメリカのメーカーは読みが良い。さすがビジネスマンだという言葉がとても印象的だった。
1975年にはブリヂストンがレーシングカートタイヤ業界に参入してきたとのこと。これでかなりレーシングカート業界の大枠が固まったのだろう。
- 1972年にJAFが主体としてFIA-CIKがレーシングカート業界を整備
- 1973年にヤマハ参入
- 1975年ブリヂストン参入
- 1974年 SLカートクラブ設立(ヤマハ)
として今のレーシングカート業界につながる。
このレーシングカートというのは現在もJAFを主体としたFIA-CIKとヤマハが設立したSLカートクラブ(現 SLカートスポーツ機構)の2団体が今も活動し多くのレースを催しているようだ。
この1970年代のレーシングカートの世界にいた石井さんの話がWebサイトに掲載されている。
ウェルストン 石井さんのショップ
ウェルストン石井さんのショップを色々と見させてもらった。ウェルストン石井さんのお店は「かーとの百貨店」という看板を出しているだけあって、レーシングカートに関することであれば何でも相談に乗ってくれるというお店だ。
ここは工場にもなっていて弊社製ブリヂストンのOEMのエアゲージがショップにもおいてありました。ご利用いただきありがとうございます。
こちらのエアゲージはかなりのレア物なのではないかと弊社の中で話になりましたが(調査中)、 とにかく石井さんのレース人生がこのショップには詰まっている。そういうお店でした。
石井さんのショップを色々と見させてもらったがこれまたお宝だらけで驚いた。とくに自慢げに見せてくれたトロフィー、これは捨てられないのだよと言いながら見せてくれたモノ。
こちらはかつて存在した船橋カートウェイ(船橋サーキット)での昭和47年4月29日開催の 3位のトロフィー。石井さんのご実家は船橋、その船橋サーキット場でのトロフィーはなかなか捨てられない。
工場の奥では様々な工作機械を見せてもらった。これでエンジンのピストンを調整していたんだよ とおっしゃっていた。イタリア製の工作機をいくつもバージョンアップしており、レース魂を感じた。
レーシングカート業界を渡り歩いてきただけのトロフィーがたくさん並んでいました。
最後に空気圧やタイヤについて聞いてみた
レーシングカート業界の中心で活躍していた石井さんに「レースにおける空気圧とは一体どういうものでしょうか」と恐れながら質問をしてみた。そうするととてもおもしろい話をしてくれた。
「タイヤは血液のようなものだ。そして、空気は骨格だ。」
この深い一言が今も離れず今もその意味を考えている。摩耗するタイヤと、タイヤをタイヤとして自立させる空気圧。これらを生き物のように例えてお話されていたのはさすが数々のレースを経験し、エンジニアリングをしてきただけの言葉だなと身にしみた。この言葉を噛み締めて、より深いタイヤとタイヤの空気圧に思いを巡らせてみたい。
今回の取材先「ウェルストン」様
URL: http://www.wellstonekart.com/
住所: 東京都江戸川区北篠崎 2-14-16
TEL: 03-3676-9640 FAX:03-3676-9343